そんなふうに生徒との関係が深まっていく夏でもあるのですが、そんななかで私は何人かの生徒を失いました。そのうちの4人はいずれも遠方の生徒を臨時に頼まれていただけなので、予定通りといえば予定通りです。その他の3人については、いずれも後悔が残るものでした。
最初の生徒は、不登校の小学6年生でした。2年あまりも授業を受けていない状態(出席しないか、出席しても授業に出ない、授業に出ても寝ている)を続けてきているのでさすがにまずいだろうと家庭教師を依頼されたわけです。ところが私は、補習どころかほとんどまともに話をすることさえできませんでした。何度通っても話のできない状態が続くので最終的にお役御免となったわけです。
いままで不登校の生徒は何人も出会ってきました。その多くは素晴らしいものを内に秘めた人たちでした。話をするなかで問題は生徒の側にではなく、学校あるいは制度そのものにあるらしいということがわかっていきました。そして、そういったものが存在することを前提として、「それではどうするのか」ということを考え、そのための一歩を踏み出すことはできてきたという自負があります。
けれど、この生徒とは、ついに話し合いを始めることもできませんでした。きっかけがなかったわけではありません。話し合えそうな雰囲気の一瞬がなかったわけではありません。けれど、それをうまく活かすことができませんでした。タイミングのつかみ方、流れの作り方、まだまだ修行が足りません。いいものをもっているように見える生徒だっただけに、非常に残念です。
もう一人の生徒は、今年度の生徒の中では最も古くから教えている生徒でした。中1の5月から教えている中3生です。あと半年、高校入試まで教える予定でしたが、推薦での進学が内定したのでお役御免となりました。進学を目標とした指導で進学できたのだからOKといってしまえばそうなのですが、最終的に私は彼のいいところを引っ張りだせなかったなあと、後悔ばかりが先に立ちます。
彼には知的好奇心もあり、理解力もあって、教えていて気持ちのいい生徒でした。けれど、学年が進むとともに、考えることを自分から放棄してしまうようになりました。ちょっと考えればわかるようなことでも、すぐに「わかりません」と手放してしまうのですね。自分で知らないことを学んでいくというよりは、教えてもらうのを待つような姿勢に変わりました。そして、成績もどんどんと降下を続けていきました。
後悔するのは、彼に学ぶことの楽しさを伝えられなかったことです。なまじ素質がいいだけに目先の成績を確保することに力を入れすぎたかもしれません。それよりは、もっといろんなことを知り、いろんな知識が相互にかみ合って広がりをもっていくことを実感させるべきだったような気がします。回り道でも、そのほうが本来もっている知的好奇心を十分に活かせたのではないかと後悔することしきりです。
最後の一人は、やはり2年あまりを教えた生徒でしたが、完全に失敗しました。着実に積み重ねてきたつもりの基礎が、改めて確認するとまったくできていなかったのです。これはショックでした。限られた時間の中とはいえ、もう少しなんとかなったのではないかと、自分のやり方の甘さに反省しきりです。とはいえ、いまさら失ったものを同じやり方で取り返せるとは思わなかったので、この生徒は他の講師に譲りました。相性問題にするつもりはありませんが、別のやり方なら別の結果が出るかもしれないと思ったからです。
こんなふうに、反省点ばかり多い一夏でした。この失敗を次に活かしていくことができればせめてもの慰めではあるのですが。