概要は、シンプルなものです。参加者がスケジュールを調整し、全員の予定が合う日に集まります。私の家の一室を会場にして、1時間半、高校2年生を教師役にして数学を復習します。合計8回、それを繰り返すことで、それぞれがこの単元の理解を深めようという試みです。金銭のやり取りは一切発生しません。
もともとこの企画、高校2年生の生徒の指導中に、「そろそろ数学Ⅰの復習をしておかないとまずいよなあ」と考えたことがスタートです。1年後には大学入試の準備になるとして、やはり大切なのは基礎固めです。人間は忘れる生物ですから、1年前に学習したことでもどこかでもう一度振り返っておかないと、肝心なときに出てこないでしょう。ただ、漫然とした復習は時間もかかるし、なかなか効果が上がりにくいものです。なにかいい手段はないかなあと考えていました。
家庭教師の使う技法のひとつに、「生徒に問題をつくらせる」というものがあります。その学習範囲の内容をしっかりと理解していなければ、問題をつくることはできません。言い換えれば、問題をつくろうとする作業のなかで、改めて自分自身の理解の浅いところに気づくことができます。うまく指導してやれば、この方法は教科を問わず非常に有効です。
その常套手段の応用で、「生徒に教えさせる」というのができないだろうかと考えました。教えることによって自分自身の考えが整理されていくというのは、私自身が経験してきたことです。振り返ってみれば、小学生の頃、読書で仕入れた知識(たいていは第二次世界大戦の兵器に関するもの)を通学中に友だちに講釈するというのが私の日常でした。学習参考書の編集者時代には問い合わせの手紙や電話に回答するなかで自分自身の盲点に気づきましたし、家庭教師をはじめてからは「教えながら学ぶ」スタイルがすっかり自分のものになりました。正しく教えることは、正しく学ぶことなのです(「正しくない教え方」ではそうは行きません。たとえば、単にムチを振るうだけの監督官は、そこからなにひとつ学べないでしょう)。
そこで、この高校2年生に「教える」体験をさせようと考えたところから、この企画が生まれました。「教える」相手としては、前年度に高校入試を指導した高校1年生が2名、ちょうどこの地域にいます。この2人を生徒役に引っ張り出せないかと考えました。「無料で教えます」というのなら、たぶんだいじょうぶでしょう。こうしてだんだんと具体的な部分が固まってきました。そして実行。最終的に大成功となったわけです。
一般に、学習塾や家庭教師は、大学生のアルバイト先として人気があります。世間のイメージも、「家庭教師は大学生のお兄さん、お姉さん」というのが主流でしょう。しかし、「プロの」家庭教師をやっていると、これらの学生アルバイトは当たり外れの大きいバクチであり、それも「ハズレ」の確率が非常に高いものだと感じます。それは、これらの学生の質にあるのではなく、「仕事」として指導を請け負うと、どうしてもそうなりがちだということではないかと思います。仕事ですから、指示されたとおりにしなければなりません。学習塾も家庭教師会社もマニュアル的な教材をもっていますから、「それをやることが自分の使命だ」となります。つまり、自分で工夫をするモチベーションが生まれません。そして、これは奇妙なことなのですが、「先生」として雇われることで、「自分はその道に通じているのだ」という慢心が生まれます。「自分の知っていることを教えればいい」という安易な考えが生まれます。「自分がやってきた受験勉強と同じことを生徒にさせれば十分」という気持ちになリます。結果として、指導の質が下がります。
今回、「教えることは自分自身の勉強だよ」という点を強調することで、こういった弊害が発生しなかったのではないかと思います。「自分自身が学ばねばならない者だ」という自覚が、自分自身を疑う姿勢につながり、それが本質へのアプローチを生みます。それによって理解が深まり、同時に指導の質が上がるという副産物が生まれます。これが教える側と教えられる側双方の満足につながったのではないかと思います。
先達が無償で後進の指導に当たるスタイルは、実はそれほど奇特なものでもありません。たとえばクラブ活動では、先輩が後輩を指導します。自分がそんなふうに指導されたから、後輩を指導することに何の抵抗もありません。教えられることも教えることも自然なことです。クラブ活動に限らず、あらゆる人間の活動が、実は教えられることと教えることを含んでいます。
それが学習の場で実際に行われることが少ないのは、そういった場が用意されていないからではないかと思います。今回、場を用意することでそれを確認することができました。「そんなことをやってなんのトクがあるのか」と疑問をお感じの方には、今回の試みで私が一切自分の時間を使わずに生徒の学力が向上したことだけをもってその説明に代えることができるでしょう。家庭教師は生徒の学力を向上させることを請け負って業務としている者です。ただし、自分自身が指導できる時艱は限られています。自分の手を煩わせずに学力を向上させる方法があれば、これほど楽なことはありません。素晴らしいことではありませんか。