理由は簡単です。高校受験では、内申書の評価が重視されます。いくらテストでいい点をとっても内申書の点数が低ければ合格できませんし、それ以前に志望校選びの段階で普段の成績が重視されることになります。そしてこの普段の成績、内申書のもとになる成績は、中3にはいってからいくら猛勉強したってそれほど伸びるものではありません。ですから、中1、中2のうちから成績を積み上げておく必要があるわけです。いい成績をとるためには、宿題をはじめとする提出物を完璧にするとともに、定期テストの点数をしっかり確保しなければなりません。塾や家庭教師の出番です、という話の流れになるわけです。
私はこういう状況を否定しようとは思いません。けれど、入学試験そのものをターゲットにした勉強は中3から始めれば十分だし、場合によっては秋から始めたってだいじょうぶだと考えています。なぜなら、特に近年の入試問題は複合問題の形をとって出されることが各教科とも多くなり、中3の学習内容を把握しなければ解くことができないからです。あまり早くから直接的な入試対策を始めてしまうと、理解が中途半端なままに答えを丸呑みにするような勉強しかできなくなります。これは効率のわるいことです。
ただし、「試験準備」以前の勉強の積み上げは、もっと早くから必要です。そしてそれは、「内申書アップのための勉強」とは根本的にちがいます。どういうことでしょうか。
中3生を教えていて気がつくのは、同じように同じことを教えていても、伸びていく生徒となかなか伸びない生徒がはっきりと分かれることです。素質のちがいといってしまえば身も蓋もないのですが、伸び悩む生徒を教えていると、「ここにくるまでになにかやることがあっただろう」と感じずにおれません。大きく伸びていくためのベースになるものが欠けているのです。そして、それは「学力」ではありません。
たしかに、中3がスタートする時点で一定の成績を確保しておくことは重要でしょう。多くの学校で、夏休み前には最初の進路相談があるはずです。それまでのわずか2ヶ月あまりで急速に成績を伸ばすことが現実的でない以上、高いところからスタートするほうが好ましいわけです。けれど、最終的に内申書の成績に最も大きく影響するのは2学期の成績です。そこに向けて成績が急降下、となってしまっては、最初のアドバンテージも活かせません。中学3年時は、学習内容も非常に多くなります。ここでひと伸びすることが学習指導要領の上からも求められています。入学試験の出題内容をみても、中学3年次の学習内容が絡んでくる問題が非常に多いのです。いくら中2までの成績がよくても、中3でつまづいたら先がありません。
だからこそ、中3で伸びるための基礎を中2までにつくっておく必要があります。そして、その基礎は、実は学習内容とほとんど関係ありません。中1〜中2の学習内容ぐらい、学習する生徒にそれだけの準備ができていれば、実際には3ヶ月程度で一気に身につけてしまえるものです。問題は、生徒にそういった知識を吸収する準備ができているかどうかです。ここが問題です。中3になって伸び悩む生徒には、新たな知識を吸収するだけの準備ができていないのです。これが、本当の意味での「中3までにつくっておかなければならない基礎」です。そしてそれは、残念ながら多くの塾や家庭教師が提供するものではありません。
基礎となるものの第一は、日常的な生活体験です。たとえば理科で力の作用について教えているとき、100グラムがどの程度の量なのか、感覚的にわかっていない生徒が少なくありません。怪しいなと思ったら携帯電話を持たせてみて「これがどのくらいの重さかわかりますか」と質問します。あるいは水1リットルがどの程度の量なのかがわからない。1000ミリリットルであるとか1ミリリットルが1立方センチメートルであるとかいった知識は質問を続けると引っ張り出してこれるのですが、「じゃあそれってどのくらい?」というのには答えられません。自動販売機で売っているPETボトル飲料の多くが500ミリリットルで、それ2本分が1リットル、重さにしてだいたい1キロだよと説明して、ようやくイメージがつかめる程度です。これでは、力の大きさを重力で説明する理屈をいくら展開しても、それは空論でしかありません。学習内容が実感を伴って身体に染み込むはずがありません。
たとえば部屋の広さが何平方メートルぐらいか、教室はどのくらいか、体育館はどのくらい、運動場はどのくらいかを大まかな数値としてイメージできなければ、図形の計量の計算が虚しいものとなります。円周率をπで表すことができても、それが「円のまわりは直径の3倍より少し大きい」という体験的な感覚がなければ、とんでもない答えが出ても平気な顔をするよりほかなくなります。
そういった日常体験から切り離されたところにいる生徒にとって、勉強とは空理空論です。無理もない話です。いくら教科書が教科の内容を日常に近づけようとしても、それはそういったお話が新たに増えるだけで、生徒自身には何の共振も引き起こしません。それよりは、日常的な体験を豊かにしていくことのほうがはるかに重要でしょう。具体的には家事を手伝うことです。それが勉強の前提条件です。
基礎となるものの第二は、自分で考え、判断し、打開策を見つける習慣です。普段の勉強はそつなくこなすのに、試験になると「頭が真っ白になって」答えが出てこない生徒がいます。だれだって頭が真っ白になるような経験はするものです。実は勝負はそこから。頭が真っ白になったら、その白紙の上にひとつひとつ自分の思考を組み立てていき、目の前の問題を解決することです。それができず、ただ真っ白になった頭を前に手をこまねいてしまうのは、勉強以前の問題です。
これは、ゲームをやっている子どもの姿勢を見るとよくわかります。手先の器用さや根気だけでゲームを続ける子どもと、なんとか裏をかいて工夫で乗り切ろうとする子どもと、どちらが勉強で伸びていくのかは明らかです。そして、不幸なことに、子どもたちに人気のあるゲームソフトの大半は、だらだら続ければそれなりにスコアを稼げるものでしかありません。古くからある将棋やチェス、オセロのようなゲームは、先を読み、次の一手を工夫する態度がなければ強くなれません。そういう遊びを積み重ねることもまた、中3でのひと伸びを準備する上で役に立つ場合もあります。もちろん、ゲームはほんの一例です。自然の中での体験や工作、工芸などの趣味に没頭することもまた、問題解決の能力を養っていくでしょう。
第三は、想像力です。いま目の前にある問題がどんなふうに広がっていくのかを想像できない限り、問題は断片的なクイズでしかありません。ひとつの問題の奥にある広がり、そして問題と問題の間のつながりを想像することによって、単調な勉強はひとつの冒険にまで高められます。
第四として、雑多な知識の蓄積が重要です。教科学習のなかで触れられる知識は、実際にはこの広大な自然界、人間社会の中の無限の情報のごく一部です。その向こう側にあるさまざまな情報の一部でも断片的に知っていると、勉強がそれを有機的に結びつけていく物語に変化します。テストには絶対出ない豆知識を大量に抱え込んでいることが、実は非常に重要だったりするのです。
そして、想像力を養い、さまざまな知識を吸収する上で、読書にまさるものはないでしょう。たくさんの本を読むことが基礎をつくっていく上で重要です。そして、もっとも大量に本を読める時代のひとつが中学1年、2年の2年間です。小学生の間は、読書のスピードも上がらず、体力的にも大量の読書は厳しいものがあります。中3になると入試準備で落ち着いた読書もしにくいのが現状です。そうなると、その前の2年間に読まなければ、どうしようもありません。
こういった基礎力の養成は、塾や家庭教師が提供できるものではありません。むしろ塾や家庭教師が時間を奪うことで、こういった基礎を培う機会が失われるかもしれません。とはいいながら、それがきっちりとできているかどうか、ご家庭でモニタしていくこともなかなかできることではないでしょう。そういう意味から、私は中1、中2の生徒には、これらの活動がきっちりできているかをチェックしながらアドバイスを続けることを心がけるようにしています。それが中3になってからの指導のやりやすさに大きく影響すると感じているからです。