万人がそうかどうかはともかくも、少なくともお金をはらって家庭教師に来てもらおうというのであれば、やはり成績を上げたいという意志がある──そう考えるのが普通だと思います。けれど、実はこれは必ずしもそうではありません。
あえて新しい知識に目をつぶる子どもたち、インプットを自らの意志で(その多くは無意識的なものであるにしても)拒否する子どもたちがいることを、私は知識としては知っていました。けれど、家庭教師をやっていると、実はそういったケースが少なくないのだなあと感じるようになりました。
よくあるケースは、「私は勉強ができないから」「どうせ自分はわからないから」と、「できない子」のイメージを自分自身のアイデンティティとしてしまっている場合です。実際に問題を解かせて「ほら、できるじゃないか」と指摘しても、「それは先生がいたから」みたいに、なかなか自分の力だと認めようとしません。「すぐに忘れるから」「たまたまだし」「ほかの問題ではうまくいかない」と、自分自身に学力があることを否定しにかかります。そして、そういったセルフイメージが、現実に反映されてしまいます。できないと思って取り組む問題は、できると思って取り組む問題に比べて圧倒的に正答率が下がります。その結果、自分自身のイメージ通りの「できない子」が確認されてしまいます。
こういう現象を、「自信がないからだ、だから自信をつけさせなければならない」と、家庭教師業界ではとらえます。「自信」をつけさせるためにテストを繰り返して高得点がとれることを確認させたりもします。
けれど、私は表面的な「自信」だけでなく、そもそもどうして自分自身をあえて「できない子」のイメージに重ねあわせてしまうのか、その根本に立ち返る必要があるのだと思います。
これに気づかされたのは、ある小学4年生の生徒と話をしていたときでした。彼は非常に頭がよく、気転もきく子どもです。ふつうなら「できる子」であって不思議はないのに、テストの点数は低く、当然成績もよくなく、「これ以上下がりようがないので、なんとかしてください」と、家庭教師を依頼されました。指導してみると、理解力もあるのに、それをすぐに冗談や悪ふざけに曲解していきます。引き算の問題をたし算に書き換えたり、課題ページを細工して既に終わっているページを「ほらできた」と提出したりと、創意工夫を妙なところで発揮してくれます。この調子を学校でやっているなら、たしかにテストの点は低く、成績は上がらないはずです。もちろん、何かの具合でひょっと真面目にやらせることさえできたら、たいていの問題は軽くこなしていけるのです。
正直、弱りました。勉強をする気のない子どもには、何を教えても無駄です。けれど、勉強をする気にさせるのが、家庭教師の役割です。だからその気になれるようにさまざまな方法でやってみます。けれど、どこまでも逃げて、逃げて、つかまえようがないのです。
そこで、正直に正面からたずねてみました。「本当は頭がいいのに、どうしてわからないふりをするの?」と。すると、苦し紛れのこの問いに、彼は正直に答えてくれました。「正解を言ったら、もっと勉強させられるだろう。それに、わからないって言ったら先生が優しくしてくれるし」。
彼は、その明るい外見にもかかわらず、根っからの寂しがりやさんなのです。外的な環境要因もあり、かまってもらうことが、おそらく小学校にはいったばかりの彼にとっては何より重要だったのでしょう。そこで彼は、「できない子」になる戦術を発見しました。「できる子」はおとなしく自分で勉強しますから、放っておかれます。「できない子」は「できる子」よりも余分にかまってもらえます。そうやってかまってもらうことが、彼にとって必要でした。だから、自分自身のアイデンティティを「できない子」に重ねてしまったのです。
ここまで明確な事例はそう多くないと思います。けれど、多くの子どもが、それぞれなりの目に見えにくい理由で「できない子」を無意識に選択し、それが結果として「自信のなさ」や「苦手意識」につながっているのでしょう。
そして多くの場合、その選択の理由は合理性を失っています。たとえば上記の小学4年生の場合、「かまってもらう」ニーズは既にそれほど大きなものでなくなってしまっています。いくら寂しがりやでも、小学4年生にもなれば「優しくしてもらう」だけでは無意味なことに気がついてきているのです。外部の環境も変化しています。彼にとって「できない子」という戦術は、既に成果をあげないものになっています。であるのに、いったん形成された「できない子」のアイデンティティは強固で、動かせないものになっています。そうやって、彼のもつ本当の賢さが伸びていくチャンスが失われてしまう危険性が徐々に強まっていくのです。
だからこそ、「なぜ自分が『できない』と言い続けるのか」を本人が意識し、その理由を合理的に判断し、その上できっぱりと新しい自分のイメージを創り上げようとしない限り、表面上の「自信」をもたせたところで問題は解決しないと思うのです。
それは、なかなか困難な作業です。家庭教師というのは、単純に教科のテクニックを教えるだけの仕事ではないのだなと思い知らされるこの頃です。