ともかくも、学習塾の悪口はこの場でも度々書いてきました。学習塾でやるのは、基本的に「問題を解くこと」を最終目的とした「訓練」です。成績、特にその集大成である高校入試は問題の正答数であるところの得点で決まるわけですから、このやり方にはなにも間違ったところがないように思えます。けれど、実際に生徒を教えてみれば、「それでは点はとれないよ」ということがすぐにわかるのです。
なぜなら、「訓練」で得点が上がるのは、「理解」が完璧にできた生徒にほぼ限られるからです。学習内容の理解が完璧でも、ふつう、満点はとれません。小さなミスや問題の読み違えが必ず発生するからです。だから私は、「80点が取れたらそれ以上の点数を追いかけても意味はないから」と、生徒によく説明します。80点の科目を90点とか100点にする努力をするよりは、ほかの科目で60点しか取れていないものを70点とか80点にする努力をするほうが重要だからです。しかし、名門校に合格するには、それではまだまだ不足です。私のような方針ではおおいに甘い──点数は限りなく満点に近づけていかねばなりません。そのときに有効なのが反復による訓練です。訓練を積めば、しっかりと理解のできている生徒は満点を狙えます。学習塾は、そこに特化しています。
もしも、理解が不十分な生徒が同じことをしたらどうなるでしょう。少しだけ点数は上がりますが、そこまでです。なぜなら、訓練によって解消できるのは小さなミスや問題の読み違えの防止です。理解できないから解けない問題が数多くあるときに、そこで回復できる点数などたかが知れています。だから、わずかの点数が上がってもそこまでなのです。基本的な理解がなければ、問題のタイプがほんのわずか変わるだけで正解できなくなります。それでもあらゆるタイプの問題を勉強し、その正解を暗記すれば、点数は上がります。しかし、そんな無理矢理な勉強は長続きしません。中学生の場合、だいたいは3年生になるまでに脱落してしまいます。あるいは、3年生になってからそんなタイプの勉強をしようとしても、とてもじゃないけれど間に合いません。
まして理解のまったくできていない生徒に問題演習を訓練しても、かえって理解を阻害するだけです。そしてこういうことを書くと、学習塾の側は「ウチでは達成度別にクラス編成をして理解が不足しているクラスではきちんと講義をしています」みたいなことをいいます。けれど、学校と同じような授業をしても、学校で理解できなかった生徒がそこで復活するとは思えません。学力別のクラス編成は、単にトップクラスの生徒のトレーニングを学力の低い生徒が邪魔しないための便法であるように思えてなりません。
これは、根拠もなく言っているのではないのです。家庭教師と学習塾は商売敵と書きましたが、実のところ、そこで教えている人間は同じようなものです。たまたま採用された会社が家庭教師屋なのか学習塾屋なのかのちがいでしかありません。そして、双方の商売には、互いに相手からの転職者が多数います。同じ教育業界ですからね。私が出席する家庭教師のミーティングにも、多くの「元塾教師」がいます。その証言によれば、まさに上記のような状況がふつうなのです。
彼の話によれば、学習塾の宣伝効果は有名高校にどれだけの人数を合格させたかで決まるそうです。確かに学習塾のチラシや看板には、「○○高校△△名合格!」みたいな惹き文句が麗麗と書かれています。そこにウソはありません。けれど、ひとりひとりの生徒にとって重要なのは、「自分がどこの高校に合格するか」ということです。「同じ塾の誰かが有名高校に合格した」ということは、どうでもいいのです。そして、本当に志望校に合格したのかどうかという満足度のデータは、どこにもありません。「合格率97%」とか書いてあったとしても、そのうちの何%が当初の志望校通りだったのか、どの程度の生徒が志望校を下げざるを得なかったのかはそこからはわかりません。少子化のこの時代、志望校を下げさえすればほぼ全員が高校に進めるのですから、「合格率」だけからではなにもわかりません。そして、「○○高校△△名合格!」のような派手な文句だけがひとり歩きします。
その実績を上げるためだけに、塾の指導は組み立てられているのだそうです。方針はこうです。できるだけ大量の生徒を集め、徹底的にふるいにかけます。ふるいにかけて残った優秀な生徒には、集中的な訓練を施します。これらの生徒は基礎が完璧にできているわけですから、鍛えれば鍛えるほど高得点をたたき出します。うまくすれば、全員がトップクラスの高校に合格します。こうやって「○○高校△△名合格!」という実績をつくりあげれば、翌年にも大量の生徒が集まります。大量の生徒の中には十分な数の優等生が含まれているので、再びふるいをかければ、その年度にもまた実績がつくれるというわけです。
そのなかで中位程度以下の生徒はどうなるのかといえば、どうにもなりません。塾の経営上は、この層は宣伝につられてやってきた純粋な営業利益でしかありません。実績の再生産は上位クラスだけで十分ですから、中位、下位の生徒は授業料だけもらって放置しておいたっていいのです。もちろん本当に放置したら詐欺になりますから、授業はします。けれど、その授業がどんな実績をあげようが(あるいはなにも実績をあげなかろうが)、それはどうでもいいわけです。ただ、生徒家庭が納得すればそれでいいので、大量の問題集をやらせます。ふつう、家庭では子どもたちが真面目に勉強していればそれで「頑張っているんだね」と評価しますから、鉛筆で真っ黒になった問題集を持ち帰らせさえすれば塾は安泰です。もしも成績が下がっても、「これだけ塾でもがんばってやってくれているのに成績が下がるのは、やっぱりうちの子の頭がわるいんだろうか?」みたいな誤解に生徒家庭を誘導できます。塾にとっては、トップクラスの生徒以外は経営上のボリュームゾーンでしかないのだと、元塾講師はこともなげに説明してくれました。
何度も書きますが、勉強とは決して「問題集を解くこと」とイコールではありません。学習内容の理解がひと通りできた上で、それをもとに思考を展開していくときに、問題集の助けを借りればうまくいく場合がある、というだけのことです。あるいは、十分な理解を身につけた上でさらに補強したいときに問題集が役立つ場合もあります。理解が不十分なままで問題演習をやっても、妙なクセがつくだけです。そのクセは、正しい学習の発展を大いに妨げます。
たとえば、数学の点数が中学2年から3年へと、下がり続けている生徒がいました。私はこの生徒を中学2年の夏から担当していましたので、成績が下がることは直接に私の責任です。私だってプロですから、成績が下がってよしとするわけはありません。毎週の指導にきっちりと数学は組み入れ、そしてチェックする限りにおいては、理解はそんなにわるくありません。これだけ理解していればまず定期テストは安心だろうと送り出すのですが、とってくる点数はひどいものです。原因がわからず、ずいぶんと悩みました。
そしてもう受験まで間もない時期になり、ようやくのことで原因が判明しました。それは、なんと小学校のときに通っていた学習塾だったのです。どういうことでしょう?
それまでの分析から、テストで点数がとれない原因は基本的に計算ミスであるということはわかっていました。計算力がないわけではありません。むしろ、小学校のときに塾に通っていただけあって、ちょっとした計算なら暗算でこなしてしまうぐらいの能力はあります。指導時に問題を解かせてみるとだいたいは正解を出すことからも、それはわかっています。ただ、試験になると計算ミスをするのです。
「今回もまた同じパターンだなあ」と、あるテストのあとで答案を見ていたのですが、ふと気がつきました。解答用紙はもちろん、問題用紙にも、ほとんど鉛筆の跡がないのです。
「計算はどこでやったんですか?」と尋ねたら、
「暗算です」とのこと。ここです。
「なんで暗算にするの? ひとつひとつ書いていけば間違わないじゃない」と尋ねると、
「小学校のときの塾で暗算するクセがついたから」とのこと。なるほど、これが原因でした。
毎週の指導時には、彼はきちんと計算式を書いて問題を解いていました。それは私が脇にいて「式を書かないとわからないじゃない」と、文句を言うからです。そして式を書いている限りにおいては、それほど間違えません。もちろん計算ミスが皆無というわけではありませんが、まあ許容範囲です。けれど、試験になると気負いが出るのかどんどん暗算で解いていって、そしてその大部分がどこかで計算間違いにつながる、というパターンだったようです。
私は暗算を否定するものではありません。むしろ、ちょっとの計算をいちいち筆算しなければならないような生徒には、積極的に暗算の練習を導入することさえあります。しかし、中学の数学では、計算そのものはそれほど難しくなくても、ひとつの問題を解く過程で何回も計算を実行しなければならないことが多く、そのうちのひとつを間違っただけで答えが狂ってしまいます。ですから、計算そのものは暗算で処理しても、その過程をていねいに書いていくことが重要になります。そうでなければ、ミスを発見できないからです。
ところが、小学生対象の学習塾では、計算問題をリズムに乗せるようにしてどんどん解かせます。いったんそういうリズムが身体に染み付いてしまうと、ていねいに計算過程を紙に書いていくことがまだるっこしく感じてしまうのでしょう。少なくともこの生徒はそうでした。角を矯めて牛を殺す式に、小学校の計算ドリルが手早く解けるようになることの代償として、中学数学の正答率が著しく下がってしまったわけです。それも、学年が進めば進むほど、解答するための思考過程が複雑になりますから、小さなミスが影響する度合いが大きくなります。だから得点力が一方的に下がり続けたわけです。それを見逃していた私もうかつでしたが、まさかこんなところに学習塾の悪影響が出てくるとは思いもよらず、意表を突かれてしまったわけです。
学問とは、訓練ではないのです。少なくともその根本部分は訓練ではありません。最終的に精度をあげるために訓練をしたほうがいい場合もあるでしょう。しかし、それ以前のさまざまな取り組みが必要な場合も少なくありません。それを無視して一律に訓練を施すような指導計画を立てても、塾は経営していけます。なぜなら、塾の宣伝にとって重要なトップレベルの生徒は、そういう指導計画で確かに伸びるからです。しかしながら、その陰で、多くの生徒が無意味なことに苦しんでいるわけです。
学習塾は、その指導方法に適した生徒が通えば、プラスの効果があるものです。けれど、そういう生徒は比率としてはかなり小さいのではないかと思います。学習塾を検討する際には、そのあたりをよく考えてみるべきではないでしょうか。