友人にビオラ弾きがいますが、彼女は娘に3歳の頃からバイオリンを習わせていました。多くの音楽家が、そんな年端もいかない頃から楽器をはじめています。ただ、これはあくまで「もしも将来そういう道を選びたいと思ったら」という「もしも」ではじめさせるのであって、実際には3歳からバイオリンの練習をしていたけれども小学生のときにやめたとか、「そういう道を選」ばなかった人のほうが多いのですね。それでいいと思います。ウチの息子も、小学校に入ってしばらくしたらあっさりとピアノをやめました。どのみち大成はしなかっただろうと思います。それでもいまでもたまにポロポロと音を出して遊んでいますから、まあ無意味ではなかったのかなと──親の負け惜しみです。
芸事というのは、こんなふうに若い頃からの修行を必要とするものです。中学生や高校生になってから思い立ってバイオリン弾きになろうと思っても、絶対に全国レベル、世界レベルの境地には到達できないものなのだそうです。音楽に限りません。歌舞伎役者の息子は幼少時から舞台に立つのだそうですし、野球選手の息子は小学生のうちから剛速球を投げるそうです。ちなみにスポーツでは、私は息子にスイミングを習わせていましたが、私自身、小学生時代には水泳を習ったものです。やはりこういものも、小さいうちに覚えたほうが身体の使い方が上手になるようですね。
と、こんなふうに、「上達のためには小さいうちから仕込んだほうがいい」というのは、けっこう正しいことではあるのです。ということで、「習い事」が盛んになります。芸術系では音楽や絵画、スポーツ系では野球やサッカー、その中間に来るのがバレエやスケートでしょうか。英会話やプログラミングといった頭脳系もあります。いずれも、小さいうちにはじめればそれだけのアドバンテージはあるもののようです。
ただ、ここで「勉強」を同じ発想に入れないでほしいのです。
勉強は芸事ではありません。幼児教育から積み重ねてきた中学生が小品をピアノで奏でるのを聞けば、だれでも「素晴らしい!」と拍手をしたくなるでしょう。息子のかつての同級生にバレエの達人がいますが、彼女の立ち居振る舞いを見ているだけで「美しい!」と嘆息がもれます。先日新しく受け持った中学2年生の生徒は、そのふくらはぎを見るだけで鍛えあげられたサッカー選手だとわかりました。彼がグラウンドで躍動する姿はきっと、心を躍らせてくれるでしょう。
ところが、算数の問題を100題解いて満点がとれるとか、理科や社会の答えをすべて暗記しているとか、そんなことで人を感動させることができるでしょうか。「芸」は他人を感動させることができます。勉強で感動してくれるのはせいぜいが親か祖父母までであり、それ以外は「すごいね」といってもお世辞でしかありません。どちらも同じような「習い事」の範疇にくくられますが、芸事やスポーツと勉強は、はっきりと区別されるべきものです。
そして、こと「勉強」に関していえば、芸事やスポーツのように「小さいうちから仕込んだほうがいい」ということは絶対にありません。確かに、「答えを素早く正確に導き出す」訓練は、仕込めば仕込んだだけの成果を上げます。けれど、そんな訓練にはなんの意味もありません。
たとえば、比率の理解を例にあげましょう。百分率や歩合といった比率の概念は、小学校5年生で学習することになっています。小学5年生用にはそういった問題が山ほどあり、その反復訓練をすればほとんどの小学生がそこに正解を書き記すことができるようになります。ところが中学生になって確認してみると、百分率を正確に理解している生徒は驚くほど少ないのです。中学2年生には連立方程式があってそこには比率の問題が文章題としてまちかまえています。小学5年生の比率の理解が完璧であれば、この問題はちょっと考えれば自力でも解けるはずのものです。けれど解けません。解法を説明し、反復練習をさせなければ解けるようにはなりません。そうやって解けるようになっても、「本当は百分率のことをわかってもらえなかったなあ」と思いながら時間の関係で次に進まなければならないことがほとんどです。このぐらいに、小中学生にとって比率の概念をつかむことはむずかしいのです。率直にいって、小学生や中学生の百分率の授業が彼らの頭の中に正しい理解を植え付けることはほぼ皆無と言っていいのではないかと思います。
ところが、大人で百分率を使えない人に私は出会ったことはありません。スーパーマーケットで20%引きや30%引き、半額の値引きを計算できない買い物客はいませんし、たいていの業務の現場で比率の概念が用いられているのに、そこで仕事の手が止まることもありません。じゃあ、結局は理解できなかった中学生以後にそれらの人々が改めて百分率の勉強をやり直したのかといえば、そんなことはありません。どんな高校にも大学にも、それを教える課程はないのです。つまり、いつの間にか自分で納得して使えるようになったのです。パーセントなんて、大人になれば勝手に使えるようになるものなのですね。
ということは、指導要領がどう主張しようと、小学5年生に百分率を教えるのは早すぎるのだということがわかります。勉強には、「ちょうどいい時期」があります。おそらく15歳を超えてから教えれば一瞬で理解できるパーセントの概念が、小学生には非常に困難になります。同じことを身につけるのに、非常に効率がわるく、その非効率性を乗り越えるために訓練を施してもそれは単なる苦痛しかもたらしません。これが勉強というものです。
子どものために「少しでも早くから」と焦る親心は、私もよくわかります。けれど、勉強は、心と体の発達に応じて、適切な時期に適切な内容と分量で行うべきものです。誤った勉強を重ねることがいかに子どもの時間を奪い、結果として成績に取り返しのつかないダメージを与えるのかを、私は何度も目にしてきました。勉強は芸事ではありません。訓練で乗り切るのではなく、成長の一環として自然に越えていくべきものです。だからこそ、適切な成長を支える日常の活動が重要になります。日頃から、体と頭をしっかり使いながら生活させるように気を配ることのほうが、おかしな早期教育を考えるよりも桁違いに重要になってくるのです。