スポーツをはじめた初心者がやらされるのは、試合に出ることではありません。まずはランニングです。基礎体力づくりです。次に反復練習です。バスケットボールであればドリブルやパスの練習を飽きるほどやらされます。野球ならキャッチボールや素振り、ノックやベースランニングでしょう。試合形式の練習なんて、ずっとずっと先のことです。何より大切なのは、ひとつひとつの身体の使い方を繰り返し練習で身につけることです。実戦練習は、そういった基礎が身についていなければ無意味でしょう。
勉強は、考える力を身につけることです。ですから、トレーニングとは対極にあります。ただし、考える力を現実に応用していくときのツールとして、トレーニングで身につける技術が役立つ場面も少なくありません。そういった技術を身につけるための手段として、トレーニングは否定されるものではないでしょう。勉強全体のごく限られた一部分として、私自身、トレーニングの意味を認めないわけではありません。
ただし、ここで重要になるのは、スポーツにみられるような基礎的なトレーニングです。ドリブルやパスの反復練習、日常的におこなう素振りやキャッチボールです。そして、こういったトレーニングには、特別な設定は不要です。ボールひとつあればできるのが、こういった基礎トレーニングの特徴です。やっていることは単純です。単純ですが、ひとつひとつの動きを大切にします。一人ひとりのプレーヤーが、それぞれ自分自身の課題を意識しながらフォームの修正に取り組むのも、こういった反復練習です。
問題集を買ってきて解くことが、こういった基礎トレーニングに相当するでしょうか。否、と私は思います。問題集の多くは、実際に試験に出そうな問題を並べたものです。それは、どちらかといえば試合形式での練習に相当するでしょう。それが完全に不要だとまではいえなくとも、少なくとも基礎トレーニングが十分にできていない段階で取り組むべきことではないはずです。ドリブルもできない、パスも通せないプレーヤーが、試合形式の練習に出ても何一つ得るところはないはずです。時間の浪費だといってしまっても過言ではありません。多くの勉強が徒労に終わる理由です。
もちろん、問題集の中には基礎トレーニングを重視したものもあります。けれど、どこかちがうのです。ほんとうの基礎トレーニングは、ボールひとつもって自分自身でできるものです。自分自身の弱点を補強しコンディションを整えるために、自分自身で組み立てるものです。問題集の限られたページでは不足するのがふつうです。あるいは、自分自身には不要な問題が羅列されていることもまた、ふつうです。問題集を使うのは、基礎トレーニングには効率がわるいのです。
じゃあ、どうするのか。かんたんです。自分自身でメニューを考えるのです。たとえば中学数学1年の正負の計算であれば、まずランダムに数字を10個書き出します。この10個の数字を次から次へと組み合わせて四則計算を練習します。自分自身が納得するまで続けます。正解がわからなければ、電卓でも叩けばいいでしょう。
一次方程式なら、同様にxの係数と数字の項に適当な数字を次々に当てはめていきます。正解の確認の方法は習うはずですから、そこまで含めて反復練習すればいいでしょう。
英語なら、既習の単語を書き出し、その組み合わせで文をつくる練習、さらにその文を否定形や疑問文に書き換える練習、中学2年以降なら未来形や過去形への変化、中学3年なら受動文や現在完了形への変化なども、問題集の世話にならずにやっていけるはずです。
そんなになんでも自分でやってくれるなら苦労はないよと、教師も親も思うでしょう。自分でできないから問題集を与えるのだと主張するはずです。けれどそれは、新入部員がドリブルの練習を嫌がるから仕方なしに試合に出すというのと同じだということを自覚してほしいのです。自分でできないのなら、自分でやる方法を教え、自分でやる習慣を身につけさせるのが正しい筋道です。無意味な訓練を繰り返しても、なんの意味もありません。いいえ、意味がないどころか、大きな弊害が生まれます。基礎ができていないのに問題集の反復練習を積み重ねた結果がどうなるか、それを私は嫌というほど見てきました。学習塾に長期に通った生徒に、そういった傾向が顕著にみられます。けれど、この問題について書きはじめると長くなるので、別の機会に譲りましょう。
トレーニングは、場合によっては重要かもしれません。けれど、それが本当にトレーニングになっているのかどうかを考えもしないで、子どもたちに取り組ませるのはやめましょう。あまりに破壊的な結果を生みかねませんから。