実際、業界内でもときどき中学入試問題は冗談のように話題になります。「あんな問題、私でも解けない」「マニアックですよねえ」「小学生がそんなこと知ってるわけないじゃないですか」というぐあいです。高校入試の場合、主流は公立高校の試験問題であり、公立の試験問題は指導要領の範囲を逸脱しないことという制限があります。だから、出したくても難問・奇問の類は出せません。ところが中学入試は基本的に私立中学ですから、ルールなんてあってないようなバトルロイヤルです。あらゆる問題が出題される可能性があります。ときには大人でも頭を抱え込んでしまうような問題が出題されるのが、確かに現実といえば現実です。
しかし、その表面的な現実に目を奪われてはいけません。ここに中学受験の落とし穴があります。中学受験をますます困難にし、そのハードルを高く見せてしまう誤解があります。
複雑に見える現象は、その根本原理に立ち返って理解するべきです。複雑に見える物体の運動が実は慣性の法則をはじめとするごくかぎられた数の基本法則によって理解できることを発見したのはニュートンでした。根本原理に立ち返れば、複雑な現象も、意外と複雑ではないことがわかるものです。
小学校入試の基本原理はなんでしょう。「あいつらは小学生をいじめて楽しんでいるんだ」「単なるマニアだ」「サディストだ」。これが、受験生の立場からの率直な印象です。けれど、いったい私立中学校の教員が受験生を難問・奇問で虐待してなんの得があるでしょう。そんなことをしてうれしいと思う変人を、名門中学が雇い続けるものでしょうか。そして、もしもそんな学校だったら、だれが子どもをそんなところに通わせたいと思うでしょうか。
そんなはずはありません。名門中学の教師は、それだけ優秀な人材を育てる力量をもっているからこそ、その職を任されているのです、単なるマニアやサディストではありえません。
だとしたら、その人材育成のエキスパートは、なにを考えて入試問題を作成しているのでしょう。
入学試験の目的は、残念なことに生徒を選別することです。では、どんな生徒を選抜して入学させようとしているのでしょうか。特殊な受験技能、特殊な知識をもった生徒でしょうか。それを取得するために机にかじりついて勉強ばかりしている子どもでしょうか。特殊な知識や技能を記憶する技術に長けた暗記型の人間でしょうか。
ヒントは、名門中学の公式の案内にあります。リーフレットやウェブサイトを見てみましょう。そのどこを眺めても、ガリ勉型の頭でっかちの人材を求めているとは書いてありません。それどころか、文武両道であったり、柔軟な思考であったり、高いコミュニケーション能力であったりと、およそ受験技術の習得に血道を上げるようなタイプとは思えないような生徒を育てる教育目標が書いてあります。そのためには、そういった素質をもった生徒を選抜するのがもっとも自然な選択でしょう。つまり、名門校が求めているのは、難問・奇問を解く技術を身につけた子どもではないのです。
だったら、難問・奇問を入試問題に出題するのはおかしいではないか、そういう問題を出題していることこそ、それを解ける生徒を探そうとしている証拠ではないかと、そんなふうに反論が出るかもしれません。けれど、落ちついて「難問・奇問」と呼ばれる入試問題を眺めてみましょう。実は、それを解くために特殊な知識は不要です。もちろん、ふつうの小学生はおろか中学生でさえ知らないような用語がどんどん出てきたりします。けれど、それは目くらましです。知らなければ解けないような用語には解説がちゃんとついていますし、解説なしに投げ出された用語は、無視しても問題の本筋には関係のないものです。特殊な数式や特殊な解法に見えるものは、ほんのちょっと課題をみる角度を変えるだけで、実は小学校の学習範囲内の解法で十分解けるものに変化します。ほんとうの意味での難問・奇問は、実はそれほど多くないのです。
つまり、名門校の教師は、難問・奇問を装った目くらましに騙されずに質問の本質をつかむことができる能力をもった生徒を求めているのです。小手先の受験技術に頼るのではなく、視点を変えてものごとをみることができる柔軟な思考のできる生徒を選ぼうとしているのです。
なぜ、中学受験の入試問題に「難問・奇問」とよばれるものが出題されるのか、もういちど整理してみましょう。これらの名門校は、受験技術だけを訓練された生徒、正解を暗記することでのり切ろうとする生徒をできるだけ排除しようとします。自分の頭で考え、創造的に問題を乗り切っていこうとする生徒を選ぼうとします。そんなとき、パターン化され、定型化された問題を出題したのでは、目的は達成されません。そういった類型的な問題は、受験技術の訓練や正解の暗記で容易に対処できるものだからです。そこで、そういったパターンや定型からはずれようとします。その結果、新たなパターンの問題が生まれます。そして、その新たなパターンは翌年にはもう受験技術のターゲットになります。そこで、その年にはまた新しいパターンの問題が考案されます。毎年毎年、新しいパターンができるので、パターンを覚えこむことで試験問題を克服しようとする受験技術の立場からはとてつもない難問・奇問が毎年出題されるように見えてしまいます。
これが、ミスマッチの本質です。ここまで理解できれば、ソリューションは見えています。受験技術や正解の暗記で対処しようとするから、中学受験は特殊分野になってしまうのです。けれど、子どもたちの自主的な思考能力、創造力、想像力、創意工夫の力を伸ばしていくようにすれば、実はそれほどむずかしいことではありません。
中学受験を特殊技術だと思い込むことは、受験業界を儲けさせるだけです。本当に大切なのは、子どもたちに考えることのよろこびを体験させることです。もっとも、それがバレてしまえば、受験業界は大きなビジネスチャンスを失います。だからこそ、この誤解にもとづいたミスマッチをあえて放置しているのです。なんとも残念なことに。