家庭教師は、時間単位で料金の発生するサービスです。似たようなサービスとしては、たとえば映画があるでしょう。家庭教師の指導時間は1時間半とか2時間になることが多いのですが、映画も似たような長さでしょう。そして料金は、家庭教師のほうが遥かに高くなります。ということは、家庭教師は映画を見る以上の体験でなければならない。私はそのくらいに思っています。
もちろん、エンターテイメントとエデュケーションは、性質がちがいます。けれど、満足度は同じ程度以上を目指したい、目指すべきだと思います。事実、生徒によっては週1回の私の指導時間をけっこう楽しみにしていてくれているようで、「おもしろいです」と言ってくれたりもします。
ふつう、生徒は勉強を好きではないものです。なぜならほとんどの「勉強」は反復を中心とした訓練や暗記であって、そういうものが楽しいと思えないのは人間の性質からいって当然だからです。ですから、家庭教師の時間もそういうことに費やす部分ばかりなら絶対に「楽しい」と言ってもらえるわけはありません。「おもしろい」と思ってもらえるのはそれまでわからなかったところがわかるようになったときであったり、新しい知識がつながって納得がいったとき、あるいはそれまでの見方がひっくりがえされて物の見方が大きく変化したようなときです。そういう体験を指導時間の中に組み込んでいけば、「おもしろい」と思ってもらえる瞬間が増えていくものです。私はそこを心がけています。
もちろん、全ての生徒についてそううまくいくわけではありません。数は多くありませんが、いままでも訪問のたびに顔をそむけられるような生徒に出会ったこともあります。いつ行っても気乗りのしない様子で、だんだんとこっちのほうが苦痛になってくるような生徒もいました。楽しんでくれなければ、こっちも楽しめないのです。
こういう生徒は多くの場合、「勉強」のイメージに強くとらわれてしまっています。こちらとしてはそのイメージを変えようとするのですが、週に1回か2回顔を合わせるだけの家庭教師の言動よりも、毎日顔を合わせる家族や学校の影響のほうが強いものです。何かといえばすぐに「勉強しろ」とプレッシャーをかけられるような環境にいる場合、そういうことに関係しているというだけで家庭教師が忌み嫌われる場合だってあります。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の現象ですね。
退屈で生徒に拒否感しか生まれないような指導をする質の低い家庭教師はもちろんですが、「勉強」を訓練や暗記のイメージで捉えている生徒の周囲の人々は、間接的に反社会的な行動を誘発しているかもしれません。自分自身がそうならないよう、これからも気をつけていきたいと思います。