多くの生徒が、そういう受験勉強をしています。それが受験勉強の正しいあり方、王道だと思い込んでいるからです。そうでしょうか。私はあえてそれに異を唱えたいと思います。
受験勉強の最終目標は、入学試験に合格することです。入学試験の合否は内申書とテストの点数で決まります。内申書はふだんの成績によって決まりますから、これもまた、中間・期末などの定期テストの点数でかなりの部分が決まります。つまり、単純にいって、テストの点数を上げることが受験勉強の目的です。あからさまな言い方をすれば、テストの点数を上げるための戦略を実行することが受験勉強です。テストの点数に結びつかない勉強は、受験勉強ではありません。たとえば趣味の世界のことをいくら勉強しても、それはテストに出ないから受験勉強にはなりません。恐竜が好きな男の子がいて大学レベルの文献を読み込んでいるとか、パソコンが好きでプログラミングの勉強をしているとか、そんな事例はときどきあります。けれど、そういった勉強は、受験勉強にはなりません。テストに竜脚類の分類が出ることもなければ、プログラミングの実技が入試問題になることもないからです。
テストに出るのは、たとえば数学の計算問題や応用問題であり、国語の読解問題や漢字の読み書きであり、英語の文法やスペリングです。理科や社会の用語をおぼえていることも重要でしょう。そういった実際の問題を並べ上げたのが問題集であり、それを解く訓練をすること、あるいは解けなければ解けるようになるまで参考書を調べることが受験勉強であると、多くのひとがそう考えるのは無理もありません。その結果として、夜遅くまで問題集に取り組む受験生というイメージができあがるわけです。そして、それは根本的にまちがっていると、私は主張したいのです。
問題があるとき、ひとはそれを解決しようとします。受験という問題があれば、それを解決しようとして対策をとります。けれどそのとき、目の前に見えている問題を表面的に解決しても、問題はなくなりません。
中国の古いことわざに、「上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医す」というものがあります。これは漢方医学の話ですが、「病」を「問題」と読み替えて一般に通用させて差し支えないでしょう。上医も中医も下医も、いずれもそれぞれのレベルでは正しい対策をします。
ただし、問題に対して直接にその解決に取り組むのは、実は「下」のレベルです。このレベルで対策をとっても、問題の根本的解決には至りません。根本解決でなくとも、当事者はそのレベルにありますから、やらないわけにはいきません。だから、痛みがある患者はとりあえず痛み止めを求めますし、テストの点数が低い生徒はとりあえず問題集で練習をしようとします。そして、痛み止めを求められた医者はそれを処方しますし、問題集の指導を求められた家庭教師は解き方の解説をします。これはこれで、正しい対策です。けれど、そんな対策は、次から次へと問題が発生するのを防ぎきれません。痛み止めで抑えつけた痛みは身体が不健康であれば遠からず場所を変えて再発するでしょう。ひとつの種類の問題を解く方法を身につけても、次の種類の問題が出てきたときには、また点数がとれずに苦しむでしょう。そして、新たな痛みを抑えるには再び痛み止めが必要になり、新たな種類の問題の対策を講じるためにまた問題集を解き、家庭教師の指導を受けなければなりません。根本的な対策がとられない限り、問題は次から次へと発生をつづけ、それに対処するためのコストはかさみつづけます。いわゆる薬漬けの世界であり、受験地獄とよばれる状態です。
これに対して、もう少し上のレベルでは、根本原因を探ります。漢方医学の世界では、病気は身体のバランスの崩れが表面に現れたものだと解釈します。ですから、表面に現れた症状に対して直接働きかけるのではなく、まずは、身体のバランスを回復すること、そしてそれ以上に、バランスのとれた身体を日常的につくり上げることを目標とします。病気を治すのではなく、病気になりにくい身体をつくることが根本的な病気に対する対策です。「未病を医す」といわれるこの姿勢が、漢方医学の要です。同様に、レベルの高い受験対策は、ひとつひとつのテスト問題の解き方を身につけさせようとするのではなく、各教科の理解そのものを高めようとします。テスト問題は、もともと理解度を測定することを目的に作成されています。建前上、教科の中身を十分に理解していればなんの対策をしていなくても解けるはずなのがテスト問題です。もちろん100%建前通りではありません。ある程度は学問の理解の本質とは無関係なテクニックがなければ満点をとることが難しいのも現実のテストです。けれど、そういったテクニックはごくわずかです。問題の大半は、学校で習うことの中身がしっかり理解できていればそれだけで十分以上に解けるものです。テストとは、本来そういうものです。ですから、学習内容を理解することが何よりの目的となります。そうすることで、結果としてテストの点数があがります。病気にならない身体をつくるのと同じように、わからない問題が生まれないような高度な理解をつくりあげます。このレベルの受験勉強をつづければ、やがて家庭教師も問題集も不要になるでしょう。ちょうど、健康な身体を維持する生活習慣が身につけば医者要らずになるのと同じことです。これが、「中」レベルの対策です。
「上」のレベルは、非常に困難です。病人が出るのは、身体のバランスを維持できないような生活を社会が個人に押しつけるからです。栄養状態を改善し、不公平からくる過酷な労働環境を正し、だれもが幸福だと感じられる社会を築けば、病人は間違いなく減少します。つまり、「上医は国を医す」のです。受験勉強の世界では、そもそも試験問題など解かなくてもだれもがそれぞれの知性を十二分に伸ばしてそれぞれの望む生き方をできるような社会をつくれば、問題はすべて解消します。
このレベルの対策をとれるだけの力は、私にはありません。また、そのレベルまでいってしまうと、実際に受験勉強で苦しんでいる子どもたち、ご家庭の力にはなれません。
だからこそ、私は受験技術を訓練するレベルの指導ではなく、また、抽象的な政策論、あるべき論のレベルでもなく、ほんとうの意味での学力をつける「理解」のレベルでの指導をしていきたいのです。逆説的に聞こえるかもしれませんが、受験技術を無視してより深いレベルでの学習を行うことこそ、最も効果的で効率的な受験対策になります。点数を追いかけないことで、逆に高得点が得られます。理解していれば、目先の細かな表現のちがいに惑わされることがないからです。それこそが受験対策の王道だからです。