念のために強調しておくと、私は指導要領が絶対だと思っているわけではありません。文部省が定めた学習指導要領は時代とともに変化してきているのですが、まだまだ時代に合わないところもあるし、もっといえば根本的な発想そのものが批判されてもいいものだと思います。ああいものを神聖視したり絶対視したりする考えからは、ろくなものが生まれないと思います。
さらにもうひとつついでに付け加えておくと、私は学校の教師が指導要領の範囲外の授業を行ってはいけないという考えはもっていません。というよりも、現在の指導要領は、学習項目をガチガチに縛るほどの固定化されたものではなく、教師の裁量によってある程度は自由に教材を選択できるような規定だと、読み取ることができるものです(そう読み取っている教師がどれほどいるのかは知りませんが)。生徒の思考力を鍛えるために必要があれば、どんな教材を持ちこんでもOKな部分があります。私自身、生徒の理解を引き出すためにしょっちゅう指導要領からいえば余分なことを生徒に対してしゃべります。そういう授業が必要な場面は、当然学校の教室の中でもあると思っています。
これらの但し書きを加えた上でなお、私は中学3年生の中間テストや期末テストのような学力試験に指導要領を逸脱した問題を出す教師は論外だと思います。
その理由はただひとつです。
基本的に学校教育、特に公立小中学校の教育は、指導要領という法令に準拠して行われることになっています。そして、その時系列の最終に位置する高校入試においては、神経質なほどに指導要領の内容は参照されます。指導要領の範囲を超えるとみなされた出題には批判が集中し、ときには無効とされるほどの厳しさです。基本的には、高校入試では指導要領外の出題はないと断定していいのが現実です。
そのような現実があるとき、当然、中3生には指導要領を超えた問題が出ないという前提での指導を行います。ところが学校教師の中には、特に理数系の教員に多く見られるのですが、自分の作成する試験問題に「満点予防対策」として指導要領に則った学習内容とはいえない難問を出題する教師がいます。これは困るのです。
もちろん、指導要領外といっても、許容されるケースは数多いと思います。代表的な出題は、思考力をみる問題です。指導要領で扱っている素材ではないが、指導要領で該当する範囲の学習によって得られたはずの思考力を展開させれば解けるような出題は、むしろ良問であると私は思います。こういった問題は暗記では絶対に解けないし、いったん解ければ側面から指導要領で目標としている教科内容の理解を助けます。私はそのような逸脱は批判すべきではないと思います。
批判されるべきなのは、高校の学習範囲である問題を先取りして出題しているケースです。そして、なぜか理数系の教師は、こういう問題を出したがります。数学でいえば高次方程式であるとか円順列に関わる問題、理科であれば有機化合物の化学反応式や遺伝における検定交雑の問題など、確かに中学で学習する内容の延長ではあるけれど、はっきりと学習指導要領で高校の学習範囲と定められたものです。これらの一部はかつて中学で教えられていたこともあるので中学生でも理解できなくはないし、場合によっては学習指導要領の内容を補強する意味で教えたっていいものです。けれど、それを試験に出すのは完全に別問題です。
なぜなら、学力考査は、あくまで指導要領で規定された学習内容の理解の程度を測定すべきものだからです。指導要領の範囲内の理解を助けるために範囲外の教材を扱うことと、範囲外の教材の理解を生徒の到達度として評価することの間には、越えがたい溝があります。それを理解しない教師が、実際に各学校の各学年に必ず一人か二人はいるのです。
これらの教師は、法律で定めた範囲内の理解で成績を評価するのではなく、自分の授業の理解で生徒の成績を評価したい教師です。これは唯我独尊であり、客観的に教室外で通用する基準ではありません。そして被害は、そういった基準で評価されることにより、成績が決まり、進路に影響する生徒に及びます。小学校や、あるいは中学1年、2年では(この地域では)、そこまで大きな影響はありません。ですから、私は呆れながらも「どうぞご勝手に」と思います。けれど、中3生はそうはいきません。彼らは、教師の独断が通用する狭い教室内ではなく、学校外の基準で戦わねばならないいのです。そういう特殊な状況にある生徒に対しては、それをサポートする側に回るのが教師の役目ではないのでしょうか。
こういった教師がよく言い訳に使うのは、「これは過去の入試問題に出たから」というものです。しかし、その過去の出題実績というのは、たとえば難問を出すことで有名な特殊な学校における出題であり、地理的にいってその学校を受ける生徒は教室には皆無、似たような難問を出す学校も地域にありません。あるいは、その過去の出題というのははるか昔、指導要領改訂以前のものであったりします。あるいはもっと悪いのは、教師がそもそも入試問題の出題意図を誤解して、指導要領の範囲内の思考を延長させれば解けるような良問を、指導要領外の知識がなければ解けない難問に改悪して出題している場合です。これなんかは、教師の教科理解に相当な欠陥があるとしか思えません。
そういう問題を出題する教師の根っこにあるのは、高校で習うような高度な知識をひけらかしたいという自己顕示欲でしかないのではないかとさえ疑いたくなります。
確かに、指導要領で縛られた指導はつまらないし、いったんそこを外して自由な枠組みで取り組ませたほうが生徒の理解が高まるのは事実です。しかし、その成果は、あくまで指導要領で規定された学習内容をどれだけ理解したかによってのみ判定されるべきものです。それがルールとして採用されている以上、それに従わなければゲームは成り立たないのですから。
プロである学校教師が、しがない家庭教師に批判されるような状況はどう考えてもおかしいと思うんですけどね。