けれど、「監督」ではありません。なぜなら、勉強とは苦行ではないからです。辛くて続けるのがつらい仕事、難行苦行の類であれば、そこからはずれないように監督することも必要でしょう。難しいことを続けるのなら、そこからはずれないように目標を指示し、脇道にそれないように監視し、前に進むように励ます役目、一般的にいえば「監督」が必要になるでしょう。
けれど、勉強は苦行ではありません。苦行にしてしまってはなりません。「苦しくつらことに耐えてこそ、成果があがる」というのは数十年前に廃れてしまった根性論です。根性論は、脱落者を生み出すだけです。どんどん脱落していく競争相手は敗者で、残ったものが勝者であって、最後に報われるという構図は、内向きの誤った考え方です。学ぶことは、そんな虚しい競争の道具ではないのです。
「監督」であれば、だれだってできます。なんなら時給800円のアルバイトでも、あるいはコンピュータ仕込みのロボットにだってできるでしょう。インターネットでのオンライン学習は、いかにして子どもを怠けさせないかという観点からつくられています。それでは、ほんとうの意味での学びにはつながりません。
訓練や暗記でできることはすぐに行き詰まります。監督が実践できるのは、こういった苦行を手助けすることです。子どもたちにとって本当に必要なのはそんな茨の道ではありません。
勉強の楽しさ、そこにひそむ冒険に導くガイドこそが、本当に求められる家庭教師像なのです。